映画評論再び0 シンゴジラ 星--
『私は好きにした、君らも好きにしろ』
シンゴジラのヒットが止まらない。
そして、様々各方面で話題になり、ただの映画評論には止まらず、日経ビジネスや、私の敬愛してやまないチャンネル桜の討論にまで発展した。
シンゴジラの映画の真意とはなんだったのか?
いろんな人がブログを書き、評論家が唱え、学校や、職場、家庭など、いろんな世代を超えた日本人たちが、映画を見て様々な感想を口にする。
私も、四回も見に行き、結構考えて、みんなはどう感じたのかなあ?と探ったり、感想を聞いたりしたものだ。
庵野秀明が、作りたいモノを作りたいように作り、まさに『私は好きにした』といわんばかりに、シンゴジラを私たちに投げつけた訳だ。
私は、私なりに考え、この映画への賞賛と批判を前回行ったわけだが、ここへ来て
あ、待てよ…と思った。
20年前、エヴァが出てきた時も社会現象になったことを思い出した。
エヴァを見たとき、様々な謎が謎を呼び、旧約聖書、ユダヤ、神話、キリスト、軍事など、様々なことを調べ、みんなで、ああでもない、こうでもないと、話題は尽きなかった。 結局調べても謎は解決しないのだが、フィクションであるエヴァが現実にリンクしだしたり、エヴァがきっかけで、いろんなことに関心を持つようになった。 そして、みんな『好きにした』。
あ…
これか…!
私の前回ブログから、もう一つ上の解釈。
庵野秀明は、自分の好きなように作ったのは明白だが、私たちが、シンゴジラの中で無数の付箋や謎に目を奪われ、それに翻弄した一人一人が、その付箋や謎を解くために物事を探求し、自然に考える姿勢作りをさせたかったのではないか?
そしてその物事とは、日本にまつわるもの、例えば劇中に出てきた日本を取り巻く戦後体制、核、原発、自衛隊、保守、左翼、安全保障、憲法もそうだし、ヤシオリ作戦のヤシオリの日本神話の意味とか、日本人が普段関心のないものについて、シンゴジラを間口にして、それらを楽しく知ってもらい関心を抱かせる、そして、みんなで話題にして、話し合う。 この状態を期待していたんじゃないかなって、思うわけです。
こうやって、私みたいに一生懸命ブログに思いを伝えるこの状況もね笑
私は、ラストはバッドエンディングが良いと思ったが、そこは庵野秀明は日本人への自分なりの愛があったのかもしれない。
日本はまだやれる、と。
こうなることを予測していたのかもしれない。
すごくスッキリした気持ちになった。